私がEco villageに興味を持ち、研究している理由の1つに、「なぜ人はここに住み始めたのか」という?(ハテナ)がある。
なぜコミュニティで暮らすことを決めたのか。
なぜ今もここに暮らしているのか。
そして
なぜこれからもここに住もうと思うのか。
都市部でよく言われる、隣人さえも知らない状態。
それは社会の変化で自然とそうなってしまった部分と、意図的に人々がそのようなライフスタイルを選んでいる部分と、両方あると思う。
そんな中で、なぜ人々はコミュニティで暮らすことを決めたのか。
2009年に行ったデンマークのEco villageでのフィールドワークでは、その動機を聞いてみた。Ecoがつくぐらいだから、環境面での理由、たとえば、「自分たちの手で育てた安心な食べ物があるから」とか、「必ずしも1人に1つは要らないもの (冷蔵庫や洗濯機や車) を共有出来るから」とか、もう少し高度に「風力発電などクリーンエネルギーで生活出来るから」などが理由として挙げられるのかな、と予想していた。
しかし実際、より多くの人が挙げていたのは、他者との暮らしを目指す社会的な理由だった。(もちろん環境面を挙げる人もいたけど。)
これには驚いた。
でも想像は出来るし、やはりそうかと納得もした。
共生と言っても、ガチガチなコミュニティではなく、「個」と「共」のバランスを大事にする環境。何でも共同で、いつでも一緒なのではなく、プライベートの時間、物、空間を尊重しつつも、”お互い”がそこにある環境。交わることでしか生まれないささやかな幸せや、可能性や多様性が生まれ、そこから人は学んでいる。そのような姿を、インタビューと滞在を通して見えた。
理論ではない、身の丈の幸せや楽しみが、そこにはあるように感じた。
もちろん、人間が一緒に暮らすわけだから、ゴシップもあるし、合わない人だっているし、面倒くさい。またデンマークという国自体の「対話重視」の風土もあり、どのコミュニティでも話し合うことを大事にしていた。中には全員一致までとことん議論するところも。
そういう難しさはもちろんあるものの、それでもコミュニティで暮らそうと決めたこと。その勇気と主体性を、私はただただすごいと思う。
ここSolheimarでも少しずつ、住民にその”動機”を聞き始めている。ぶしつけに質問するのは失礼だから、少しでも話せるような関係を築けた人から。なかなか住民とは交わりづらいなと感じている分、どれくらいの人に聞けるか分からないけど。
今のところは、「(ここでの)仕事を見つけて」という理由が多い。
新しい展開だ。笑
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